Hasta la vista Blog

気仙沼。

11月3日(火)。
今日東京へと向かいます。

午前5時。
気仙沼の夜が明けてきました。

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太平洋では海から陽が上る!!
当たり前ですが、日本海側では山から陽が上ります(笑)。

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泊まったホテルは砂浜の目の前に建つ、ウッドデッキ付きのまるでハワイのリゾートホテルのような趣があります。
結婚式場としてもよく利用されているようで、この日も披露宴の準備がなされていました。

2011年3月11日、このホテルも津波に呑み込まれ、一時的に閉館されていましたが、復興を誓い2013年10月、ホテルとしての営業を再開されました。
地元にとっても大切な建物だったのでしょう。

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デッキから下を覗くと、海、砂浜、ハーブ園(?)、そして手前のガードレールとの間に雑草に隠れそうになっていますが、しっかりと線路が見えます。
海岸のすぐ側を鉄道が走っていたのです。
復旧のめどはまったく立ちません。

と言うより、すでにBRT(バス高速輸送システム)という、バスによる交通システムに代えられているそうです。

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おいちゃんがホテルまで来てくれて、そこから今日は一緒に行けるところまで行ってみることになっています。

まず訪れたのは、気仙沼リアス・アーク美術館。

絵画など無料の一般展示に加え、「東日本大震災の記録と津波の災害史」とし、て有料ですが200枚以上の写真や150点以上の被災物、また過去のチリ沖地震の津波や三陸沖地震の津波の資料などが常設展示されることになりました。

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1時間以上かけて、ゆっくりと見て回りましたが、正直言って、心がかなり辛くなります。
できることならこういう写真を見ないで済めば一番良いのですが、見ると「忘れてはダメだ!」と言う気持ちが強く持ち上がります。

二十歳の娘はどう感じたんだろう。

美術館は少し高い高台にあります。
向うに見えるのが気仙沼の市街。

あの辺りが炎に包まれている写真もありました。

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と、美術館にハーレー乗りのせいさんが訪ねて来てくれました!!
せいさんは一昨年の僕の気仙沼訪問のブログを見て、「初めまして!」と書き込んでくれた気仙沼在住の方です。
しかも熊本のTAKちゃんのブログから僕のブログを訪ねてくれたという完全にハーレー繋がりの方です。

Facebookでは友達になっているものの、実際にお会いするのはこの日が初めて♪

僕はおいちゃんを励ましたり、忘れ去られそうになる大震災のことを僕自身も忘れないように、そして被災地以外の人にも忘れないでいて欲しくてブログやFacebookで発信するために毎年訪ねているのですが、自分で勝手にそう思っているだけで、地元の人にしてみたらただ観光に来てるだけじゃんと思われてると嫌だなぁとも思っていました。
が、こうしておいちゃんやせいさんが僕が発信することを喜んでくれていることが分かると、やはり来てよかったんだと思えます。

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娘と記念撮影。

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そしておいちゃんが住む気仙沼の本吉地区に来ました。

分断されたJRの高架はそのまま。
去年と変わらずです。

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しかし、ここにも去年と違う景色が!
新しい道路の建設が始まっていました!

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後ろ側の荒れ地だった場所も整地され、かさ上げされ始めています。

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そして津波の教えの記念碑がある高台に上がってみました。

大雑把な風景は去年とまったく変わらないように見えますが、間違いなく動いてはいます。
広すぎて動きが見えない感じですが、おそらく個々を小さくみればあちらこちらに変化があるはずです。

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しかし、ここが普通の町だったとは信じられない思いです。

出雲の北山の旅伏山から出雲平野の風景を見て、住宅がたくさんあって、それが津波で一気に流されたらこんな感じになるのでしょうか・・・。

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前方の海に小さく防波堤が見え、先端付近に白波が立っています。
あの防波堤は去年はなかった。
あの近くにおいちゃんの家があったんです。

初めて訪れた時に、「なんでこんなに近くに家を建てたの?」と聞くと、
「近くじゃないんです、家から200mくらい向うに防波堤がずっと続いていて、さらに松林が続いていてその先が海だったんです。」と。

地盤沈下で海が近づいていました。

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2011.3.11
津波に教わったことを決して忘れてはならない。
ずっと伝えて行かなければならない。

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おいちゃんたちが4年数か月暮らしていた仮設住宅。
建物としては2年が寿命と言われていたのに4年以上暮らした。
カビと雨漏りで住民は悩まされているそうです。

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この家に、おいちゃん一家はいません。
先月、もともと同じ地区だった住民が、山を切り崩して新しい団地を造り、そこに家を建てて引っ越したのです。
行政からの補助はあるでしょうが、新築したばかりの家を失い、4年以上経ってまた新しい家を持つ。

苦労もあっただろうなぁ。
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  1. 2015/11/04(水) 15:32:01|
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1961年生 ♂
出雲地方に生息中
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